戦場のアリア と 少し真面目な話し
2006年5月19日
昨夜、学校の課外授業で「戦場のアリア」鑑賞、というのを受けてきました。
もちろん、私はすでに鑑賞済みの作品なのですが、友達の修道士達がその授業に
参加するときいて、俄然気分がもりあがり、私も参加してきた次第です。
http://www.herald.co.jp/official/aria/
この作品の中で、戦場に赴いていた神父さまが自分の信仰と人生観について
苦悩する場面があるのですが、何を隠そう、ワタクシこのシーンが一番のお気に入り。
この場面で修道士達はなにを思うのでしょうか。
そこに果てしない好奇心を刺激された私なのです。
自分の信じているものを改めて見直したり、考え直したりするには
多大な勇気が必要とされます。
下手すれば自分の価値観そのものを否定しなくてはいけないことさえ内包する
その行為は、並大抵の精神力では対抗できません。
自分で言うのもなんですが、私は自分の意見に対して柔軟性のある人間ですから、
人の意見にも耳を貸すことが簡単にできるし、納得さえすれば
自分の意見をコロリと変換することだって可能です。
それを「いい加減だ」と評する人は、残念なことに、
この広い世界には沢山存在しますが、私はそうは思いません。
自分の誤りや、誤解に気づき、意見を替えることは
決していい加減なことではないと思うからです。
そう、それはとても勇気のいることです。
私はこう考えていたけれど、今は違うの。今はこう考えているの。
そんな会話の切り出しは、私は決して嫌いではありません。
むしろ、考え方を変えることが出来たそのひとに尊敬の念を抱くし、
それを大いなる成長だと捉えるからです。
常々意見を替えることを、ただの気まぐれではなく、日々の成長と向上だと
私は強く信じているのです。
子供達はそうやって試行錯誤しながら毎日意見を変え、私に様々なことを語りかけます。
それは子供達だけではなく、大人にも必要なことだと思うのです。
同じ天候が3日も続かないのと同じです。
自分の意見を変えることは決して恥ずかしいことではありません。
それを世界中が認識できたら、こんなにステキなことが他にあるでしょうか。
だからこそ、自分の意見を変えることを決意した作品中の神父様に自分の心を寄せて
好感を抱くことができるし、心からの拍手と抱擁を贈りたいのです。
私が「戦場のアリア」という作品を心から好んで止まないのは、
そういった個人的な意見に添うテーゼを感じ取ることができるからなのです。
その評価こそ高かったけれど、世間的にはあまり評判にならなかった
「戦場のアリア」。
未見の方はぜひ一度ご覧になって欲しい、と心から願うワタクシです。
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